ビールの香りは、酵母が作る|醸造学のきほん #10

こんにちは。ゴールデンブルワリーの児玉です。

ヴァイツェンを飲むと、バナナの香りがします。バナナは入っていません。ベルギーのエールにはリンゴや洋梨、南国の果物のような香りが出ることもあります。もちろん果物は使っていません。

前回はホップの香りの話でしたが、**これらの香りはホップでもなく、麦芽でもなく、酵母が作っています**。

エステル——香りの主役

バナナや洋梨の香りのもとは「エステル」という成分です。

代表が**酢酸イソアミル**。これがバナナの香りです。酵母はAATase(アルコールアセチルトランスフェラーゼ)という酵素を持っていて、これがエステルを作ります。

キリンの研究では、この酵素をコードするATF1という遺伝子を2種類特定しています。実験でATF1を2つともATF2も欠損させると**酢酸イソアミルはゼロになり**、ATF1だけを欠損させた場合は1/10ほど残った(出典:キリンホールディングス)。香りの出どころが、遺伝子のレベルまで分かっているわけです。

面白いのはその先で、**この遺伝子の働きは、麦汁の酸素と不飽和脂肪酸の量で調節されます**(出典:同上)。現場には昔から「麦汁に酸素を入れすぎるとエステルが減る」という経験則がありましたが、その仕組みが説明されたことになります。

高級アルコール——香りのもうひとつの顔

エステルと並ぶのが「高級アルコール」、別名フーゼルアルコールです。「高級」は品質ではなく、分子が大きいという意味です。

これは酵母がアミノ酸を扱う過程でできます。麦汁から取り込んだアミノ酸から窒素を外し、炭素をひとつ減らしてアルコールにする。エールリッヒ経路と呼ばれる道筋です(出典:日本醸造協会誌/秋田修 1989)。

対応関係がきれいに決まっています(出典:同上)。

  • ロイシン → イソアミルアルコール
  • フェニルアラニン → β-フェネチルアルコール(バラのような香り)
  • バリン → イソブタノール

そして重要なのが、**酢酸エステルは高級アルコールの量に比例して増える**という関係です(出典:同上)。つまりバナナ香のもとは、高級アルコールを材料にして作られている。**片方だけを増やすことはできません。**

温度を上げれば香りは増える。ただし

では香りを強くしたいならどうするか。いちばん効くのは温度です。

温かいほど酵母は速く増え、香りの成分も多くできます。エステルもフーゼルも、**酵母が増えるときの副産物**だからです(出典:White Labs)。

ただし、これは諸刃の剣です。フーゼルアルコールが増えすぎると、香りではなく**溶剤っぽさ、アルコール感のとげとげしさ**になります。翌日に残る重さの原因とも言われます。ヴァイツェンのバナナ香を狙って温度を上げたら、ただの荒いビールになった——これは醸造所が必ず一度は通る失敗です。

抑える側の手も分かっています。**酵母の投入量を増やすのが、最も効果的なエステル抑制法**です(出典:Wyeast)。1個あたりの酵母が増殖しなくて済むので、副産物が減るという理屈です。

脂肪酸——香りの裏方

もうひとつ、表に出にくいけれど効いている成分があります。脂肪酸です。

飽和脂肪酸とその誘導体はエステルの生成を**促進**し、不飽和脂肪酸は**抑制**する(出典:日本農芸化学会誌/吉沢淑 1976)。さきほどの「麦汁の酸素と不飽和脂肪酸でATF1の働きが変わる」という話と、きれいにつながります。

また、エステルは発酵3〜4日目に最大になり、その後は減っていきます(出典:同上)。**香りのピークには日がある**ということです。

脂肪酸には怖い面もあります。カプロン酸・カプリル酸・カプリン酸といった成分は、基本の匂いが「汗臭」です。閾値の2〜4倍あると官能評価が明確に悪化する(出典:日本醸造協会誌/山根善治 1998。清酒での研究ですが、酵母の代謝としては共通の知見です)。

香りの強い酵母は、狙ったエステルと一緒に、その材料である脂肪酸も過剰に作りがちです(出典:日本醸造協会誌 2022)。**華やかさを追うと、崩れるリスクも一緒に来る。**どこで止めるかが腕の見せどころです。

香りは「設計するもの」

まとめると、ビールの香りは3層構造です。

麦芽が作る香ばしさ、ホップが持ち込む花や柑橘、そして**酵母が発酵中に生み出すバナナや洋梨**。この3つ目だけは、原料を選ぶのではなく、**発酵温度と酵母の量で作り込む**ものです。

うちで新しいビールを設計するときも、「どの酵母を、何度で、どれだけ入れるか」は最後まで悩みます。麦芽とホップを決めた時点では、まだ香りの半分しか決まっていないのです。

まとめ

  • バナナや洋梨の香りは酵母が作るエステル。代表は酢酸イソアミル
  • エステル生成はATF1遺伝子の働きで、麦汁の酸素と不飽和脂肪酸で調節される
  • 高級アルコールはアミノ酸由来。酢酸エステルはその量に比例して増える
  • 温度を上げると香りは増えるが、上げすぎるとアルコール感が荒くなる
  • エステルを抑える最も効く手は、酵母の投入量を増やすこと

次回は「ビールはなぜ古くなるのか」。熱・酸素・光という3つの敵の話です。

このシリーズはYouTube「チェリーベル・ジャパン」でも、動画版を出しています。

この記事を書いているのは

福岡県福津市のクラフトビール醸造所 GOLDEN BREWERY(ゴールデンブルワリー)です。運営はチェリーベル・ジャパン株式会社。500Lの仕込み設備で、自社ブランドのビールを造りながら、他社さんのビール造りのお手伝いもしています。

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