ホップの香りは、どこから来るのか|醸造学のきほん #08
こんにちは。ゴールデンブルワリーの児玉です。
IPAのグラスに鼻を近づけると、グレープフルーツやパッションフルーツの香りがします。果物は一滴も入っていないのに、です。
あの香りは、すべてホップから来ています。今日はその中身の話と、**なぜ「冷たいビールにホップを入れる」という一見おかしな工程が必要なのか**を見ていきます。
香り成分は800を超える
ホップを使うことでビールに入りうる香り成分は、800を超えるとされています。そのうちビールの中で実際に同定されているものが485(出典:BarthHaas)。
大きく3つに分けられます(出典:John I. Haas)。
- **炭化水素**:ミルセン(松脂・青い香り)、カリオフィレン、フムレン、ファルネセンなど
- **含酸素化合物**:リナロール(花)、ゲラニオール(バラ・柑橘)などのアルコール類
- **硫黄化合物**:チオール類
このうち**チオール**が曲者で、4MMPという成分はカシス、3MHという成分はパッションフルーツの香りを出します。しかもごく微量で効きます。
香り成分の閾値(感じ取れる最小量)の幅は、4ng/Lから200mg/Lまで。**最大で5000万倍の開き**があります(出典:BarthHaas)。つまり、量としてはほぼゼロに近い成分が、香りの主役を張ることがある。
ビールは「水92%の溶媒」である
ここからが、ドライホッピングを理解する鍵です。
ビールは、水が92%、エタノールが5%程度の液体です。化学でいえば**極性の高い溶媒**ということになります。
極性の高い液体には、極性の高いものがよく溶けます。リナロールやゲラニオールのようなアルコール類はよく溶ける。ところが、ミルセンのような非極性の成分は、**最大でも1mg/Lしか溶けません**(出典:バイエルン州立農業研究センター Hüll研究所)。
これが、冷たいビールにホップを入れると柑橘や花の香りになる理由です。**溶媒が、溶けるものを選んでいる。**松脂っぽい非極性の成分は、そもそもビールに入っていけないのです。
ドライホッピングは「冷抽出」
ドライホッピングとは、煮沸ではなく、発酵中あるいは発酵後の冷たいビールにホップを漬け込む工程です。
熱を使わないので、α酸は異性化しません。つまり**苦味はほとんど増えず、香りだけが入る**。ホップの精油は熱で飛んでしまうので、香りを狙うなら熱をかけないほうがいい、という理屈です。
実際の工程の一例では、ワールプールで96℃・15分ホップを効かせてから急冷し、発酵中と発酵後の2段階に分けて22℃でドライホップします(出典:Yakima Chief Hops)。
日本の税法上の扱いも決まっています。できあがったビールにホップを加えたあと、さらに発酵があるかどうかで区分が変わり、**発酵を伴わない単なる浸漬なら、麦芽比率などの要件を満たす限りビールの範囲内**です(出典:国税庁)。
ひとつ注意があって、投入量を上げすぎると「ホップクリープ」という現象が起きます。ホップが持ち込んだ酵素が残糖を分解して再発酵が始まり、いったん消えたはずのバター臭(ダイアセチル)が戻ってくる(出典:Yakima Chief Hops/Brewers Association)。**香りを盛るほどリスクも上がる**ということです。
ノーブルホップとは何か
伝統的な「高貴なホップ」と呼ばれる4品種があります(出典:BJCP掲載資料)。
ハラタウ・ミッテルフリュー(独)、テトナング(独)、ザーツ(チェコ)、シュパルト(独)。いずれも産地が限定されています。
共通点は、α酸とβ酸がどちらも低く(2〜5%程度)、比率がほぼ1対1。ミルセンが少なく、フムレンが多い。**苦味を出す力は弱いけれど、香りが上品**というタイプです。
実測値を見ると、チェコのザーツ地区は2024年の平均α酸が3.7%、ドイツのハラタウ・ミッテルフリューは10年平均で3.7%(出典:BarthHaas Report 2024/2025)。伝統的な定義と、現代の実測値がきれいに一致しています。
なおハラタウ・ミッテルフリューは病気に弱く、1990年代に作付が激減しました。その後ウイルスフリー苗の導入で復活しています(出典:John I. Haas)。**品種は放っておくと消える**。ここは農産物なのだと実感するところです。
アメリカ品種と、日本のホップ
現代のクラフトビールを支えているのは、アメリカの高α酸品種です。
α酸で比べると、ザーツが2.5〜4.5%なのに対し、シトラは11.0〜13.0%、シムコーは12.0〜15.5%(出典:John I. Haas)。作付面積でも、シトラが7年連続の1位で全体の15.1%を占めています(出典:BarthHaas Report)。
日本発の品種で世界的に有名なのが**ソラチエース**です。1984年にサッポロビールが育成した品種で、香りがあまりに個性的だったため国内では普及しませんでした。ところが1994年にオレゴン州立大学との材料交換で渡米し、2000年代にアメリカのクラフトシーンで花開いた(出典:John I. Haas/日本醸造協会誌)。**日本で「変わりすぎている」と敬遠されたものが、海を渡って評価された**という話です。
岩手県遠野のIBUKIは、品種名ではなくブランド名です(出典:TONO Japan Hop Country)。
まとめ
- ホップの香り成分は800超。ごく微量で効く成分ほど香りを支配する
- ビールは水92%の極性溶媒。だから極性の高い花・柑橘系の成分だけがよく溶ける
- ドライホッピングは冷抽出。苦味を増やさず香りだけを入れられる
- 入れすぎるとホップクリープで再発酵し、バター臭が戻るリスクがある
- ノーブルホップはα酸2〜5%と低く、香りが上品。現代の米国品種は11〜15%と高い
次回は「酵母がアルコールを作る仕組み」。いよいよ発酵の話に入ります。
このシリーズはYouTube「チェリーベル・ジャパン」でも、動画版を出しています。
この記事を書いているのは
福岡県福津市のクラフトビール醸造所 GOLDEN BREWERY(ゴールデンブルワリー)です。運営はチェリーベル・ジャパン株式会社。500Lの仕込み設備で、自社ブランドのビールを造りながら、他社さんのビール造りのお手伝いもしています。
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